2022年06月08日
インタビュージョジョ・ラビットユダヤ人エルサ役トーマシン・マッケンジーNZからハリウッドへと羽ばたくまで
でユダヤ人の少女ブライトリングスーパーコピー・エルサ役を務めたトーマシン・マッケンジーにインタビューを実施。ニュージーランド出身の彼女は、19歳というフレッシュな年頃ながらも、その卓越した演技力でハリウッドに仲間入りしている実力派俳優。インタビューの中では、本作での役作りや撮影現場の様子をはじめ、“チャンス”を勝ち取った自身のバックグラウンドについても打ち明けてくれた。<ユダヤ人の少女・エルサを演じて>まず第二次世界大戦下のユダヤ人の少女という、歴史的に暗い一面を持つ役柄を演じる上で、どのような準備をおこないましたか?
ユダヤ人の少女・エルサ役に抜擢されたと分かった時点から、私の住んでいるニュージーランドから、できる限りの準備は行いました。例えば書籍に関しては、その時代の代表作「アンネの日記」(※1)はもちろん、ユダヤ人の資料に関する内容のものを沢山読みましたし、インターネットでは第二次世界大戦や、ホロコースト(※2)についてもとにかくリサーチしたんです。なので実際に現場に入るまでには、映画の背景に関しては大体理解していたと思います。(※1)『アンネの日記』…第二次世界大戦下、支援者の協力のもと、隠れ家生活を送るユダヤ人少女が綴った日記。隠れ家生活が見つかってしまったアンネは、ユダヤ人収容所へと連行され死去。戦後生き残った父の手で、この日記が出版され、大ベストセラーとなる。
(※2)ホロコースト…第二次世界大戦中のナチス・ドイツがユダヤ人に対して行った大量虐殺を指す。
その知識は、撮影現場ですぐに生かすことができたのでしょうか?
いいえ。頭で理解していることと、実際に見聞きすることには大きな差があると考えているので、映画撮影地のプラハに到着した際は、第二次世界大戦の歴史が残る様々な場所を訪れる事で、その“ギャップ”を埋めることに注力しました。ユダヤ人街や沢山のシナゴーグ(ユダヤ教寺院)を巡り、プラハから少し離れたテレジン収容所へも足を伸ばして、その当時の空気を出来る限り自分の身体で感じようとしたのです。
いざ撮影に入ってからは、ナチスのプロパガンダを撮影していたスタジオだったため、その現場からも戦争当時の事を知る機会にも恵まれて。歴史深いプラハで、実際に当時の背景について学びながら撮影できたことは、役作りの上ではもちろん、私にとって非常に貴重な機会となりました。実際にエルサ役を演じてみた感想は?
ホロコースト当時のユダヤ人が受けてきた酷い仕打ちを知ったうえで、エルサ役を演じる事は非常に難しい事でした。彼女は今では想像しがたい、大変な物語を抱えている女の子ですから。それでも、しっかりと彼女達の歴史を人々に語り継いで行く事はとても大切なことだと感じたので、私自身感謝を持ってこの役を演じ切ろうと決意して。エルサの優しさや強さ、勇気や愛をハイライトしていくことで、彼女の物語に正義を与えることが出来ました。
たしかにこの映画はそんな“戦争”というシリアスな背景を持ちながらも、沢山の“愛”で溢れているのが印象的でした。実際の現場で、共演者との絆は深まりましたか?
ええ、もちろん。特に主人公の少年・ジョジョを演じたローマンとは本当の姉弟のような関係を築けて、素晴らしい時間を共有しました。私には大好きな妹がいるんですけど、彼女が撮影現場に来れないのがすごくさみしくて。ローマンはちょうど彼女と同い年だったので、妹の代わりに、可愛い弟になってくれたような感じでした(笑)
実際映画の題材が辛いものだったので、二人とも役柄的に気持ちが沈んでしまう事も多かったのですが、いつも互いに支え合って、励まし合って、笑わせ合ったりして。彼の存在のお陰で、撮影期間中はいつでもどこでも私達の間には笑いと愛でいっぱいで、私自身ものすごく安心して過ごすことができました。
トーマシンさん自身の人生の中で、最も“愛”を身近に感じる瞬間はいつでしょう?
それは大好きな家族と一緒にいる時間だと思います。ここ数年は私自身、沢山の素晴らしいお仕事の機会をいただいているのですが、そんな忙しい期間でさえも、私が寂しくならないようにと、家族はできるだけ私の近くで過ごす時間を持つ努力をしてくれました。そして、そんな家族と共に過ごす時間は、私にいつだって沢山のパワーを注いでくれるのです。こんなに愛に溢れた家族の下に生まれた私は、本当にラッキーだと心から感じています。
<俳優業について>続いて、日本ではまだあまり知られていない彼女の<俳優業>にフォーカス。子役時代から、ニュージーランドで映画界の仲間入りを果たしているトーマシン・マッケンジーのデビュー秘話から、将来的な展望までじっくりと伺った。映画デビューのきっかけとなった作品を教えてください。
ニュージーランド・フィルムフェスティバルのために撮影された映画『Existence(原題)』に出演したのがきっかけです。当時私は9歳で、小学校の最後の年だったと思います。世界が滅亡した後も生バーバリーマフラーコピーき延びようとする家族の物語だったんですけど、私は当時まだまだ子供だったので、あまり真剣にはとらえていなくて…ただすごく楽しかったということは覚えています。子役デビューの後、「役者」という職業を真剣に捉えるきっかけとなった、“ターニングポイント”はいつでしょう?
“若すぎる”と思われるかもしれないですが、本気で役者になりたいと思い始めたのは実は13歳の時。映画『Consent: The Louise Nicholas Story(原題)』というニュージーランドの作品に出演したことが、私にとって俳優業の大きなターニングポイントになりました。その映画は、13歳の時に警察官に強姦されて、それがその後の思春期にも続くという実話をもとにしたシリアスな内容なのですが、私はこの女性の体験を映画にする為の一役を担うことになりました。そしてその撮影中に気付かされたのが、映画の持つストーリーテリング(※3)の強大なパワー。そして私には、自分が参加する映画という産業を通して、いくつもの大切なストーリーを人々に伝える機会を与えられているのかもしれないという可能性に気付きました。
それはつまり、人々をインスパイアしたり、感情に訴える事のできるストーリーテリングによって、“世界を少しでも変える”事ができるかもしれないということ。それってすごく美しくて、パワフルなアクションですよね。この事実に目を向けた13歳の私は、俳優こそが自分のやりたい事だって目覚めることができたんです。
(※3)ストーリーテリング…伝えたい思いやコンセプトを、ストーリー仕立てにすることで、聞き手に強く印象付ける手法のこと。
ユダヤ人の少女・エルサ役に抜擢されたと分かった時点から、私の住んでいるニュージーランドから、できる限りの準備は行いました。例えば書籍に関しては、その時代の代表作「アンネの日記」(※1)はもちろん、ユダヤ人の資料に関する内容のものを沢山読みましたし、インターネットでは第二次世界大戦や、ホロコースト(※2)についてもとにかくリサーチしたんです。なので実際に現場に入るまでには、映画の背景に関しては大体理解していたと思います。(※1)『アンネの日記』…第二次世界大戦下、支援者の協力のもと、隠れ家生活を送るユダヤ人少女が綴った日記。隠れ家生活が見つかってしまったアンネは、ユダヤ人収容所へと連行され死去。戦後生き残った父の手で、この日記が出版され、大ベストセラーとなる。
(※2)ホロコースト…第二次世界大戦中のナチス・ドイツがユダヤ人に対して行った大量虐殺を指す。
その知識は、撮影現場ですぐに生かすことができたのでしょうか?
いいえ。頭で理解していることと、実際に見聞きすることには大きな差があると考えているので、映画撮影地のプラハに到着した際は、第二次世界大戦の歴史が残る様々な場所を訪れる事で、その“ギャップ”を埋めることに注力しました。ユダヤ人街や沢山のシナゴーグ(ユダヤ教寺院)を巡り、プラハから少し離れたテレジン収容所へも足を伸ばして、その当時の空気を出来る限り自分の身体で感じようとしたのです。
いざ撮影に入ってからは、ナチスのプロパガンダを撮影していたスタジオだったため、その現場からも戦争当時の事を知る機会にも恵まれて。歴史深いプラハで、実際に当時の背景について学びながら撮影できたことは、役作りの上ではもちろん、私にとって非常に貴重な機会となりました。実際にエルサ役を演じてみた感想は?
ホロコースト当時のユダヤ人が受けてきた酷い仕打ちを知ったうえで、エルサ役を演じる事は非常に難しい事でした。彼女は今では想像しがたい、大変な物語を抱えている女の子ですから。それでも、しっかりと彼女達の歴史を人々に語り継いで行く事はとても大切なことだと感じたので、私自身感謝を持ってこの役を演じ切ろうと決意して。エルサの優しさや強さ、勇気や愛をハイライトしていくことで、彼女の物語に正義を与えることが出来ました。
たしかにこの映画はそんな“戦争”というシリアスな背景を持ちながらも、沢山の“愛”で溢れているのが印象的でした。実際の現場で、共演者との絆は深まりましたか?
ええ、もちろん。特に主人公の少年・ジョジョを演じたローマンとは本当の姉弟のような関係を築けて、素晴らしい時間を共有しました。私には大好きな妹がいるんですけど、彼女が撮影現場に来れないのがすごくさみしくて。ローマンはちょうど彼女と同い年だったので、妹の代わりに、可愛い弟になってくれたような感じでした(笑)
実際映画の題材が辛いものだったので、二人とも役柄的に気持ちが沈んでしまう事も多かったのですが、いつも互いに支え合って、励まし合って、笑わせ合ったりして。彼の存在のお陰で、撮影期間中はいつでもどこでも私達の間には笑いと愛でいっぱいで、私自身ものすごく安心して過ごすことができました。
トーマシンさん自身の人生の中で、最も“愛”を身近に感じる瞬間はいつでしょう?
それは大好きな家族と一緒にいる時間だと思います。ここ数年は私自身、沢山の素晴らしいお仕事の機会をいただいているのですが、そんな忙しい期間でさえも、私が寂しくならないようにと、家族はできるだけ私の近くで過ごす時間を持つ努力をしてくれました。そして、そんな家族と共に過ごす時間は、私にいつだって沢山のパワーを注いでくれるのです。こんなに愛に溢れた家族の下に生まれた私は、本当にラッキーだと心から感じています。
<俳優業について>続いて、日本ではまだあまり知られていない彼女の<俳優業>にフォーカス。子役時代から、ニュージーランドで映画界の仲間入りを果たしているトーマシン・マッケンジーのデビュー秘話から、将来的な展望までじっくりと伺った。映画デビューのきっかけとなった作品を教えてください。
ニュージーランド・フィルムフェスティバルのために撮影された映画『Existence(原題)』に出演したのがきっかけです。当時私は9歳で、小学校の最後の年だったと思います。世界が滅亡した後も生バーバリーマフラーコピーき延びようとする家族の物語だったんですけど、私は当時まだまだ子供だったので、あまり真剣にはとらえていなくて…ただすごく楽しかったということは覚えています。子役デビューの後、「役者」という職業を真剣に捉えるきっかけとなった、“ターニングポイント”はいつでしょう?
“若すぎる”と思われるかもしれないですが、本気で役者になりたいと思い始めたのは実は13歳の時。映画『Consent: The Louise Nicholas Story(原題)』というニュージーランドの作品に出演したことが、私にとって俳優業の大きなターニングポイントになりました。その映画は、13歳の時に警察官に強姦されて、それがその後の思春期にも続くという実話をもとにしたシリアスな内容なのですが、私はこの女性の体験を映画にする為の一役を担うことになりました。そしてその撮影中に気付かされたのが、映画の持つストーリーテリング(※3)の強大なパワー。そして私には、自分が参加する映画という産業を通して、いくつもの大切なストーリーを人々に伝える機会を与えられているのかもしれないという可能性に気付きました。
それはつまり、人々をインスパイアしたり、感情に訴える事のできるストーリーテリングによって、“世界を少しでも変える”事ができるかもしれないということ。それってすごく美しくて、パワフルなアクションですよね。この事実に目を向けた13歳の私は、俳優こそが自分のやりたい事だって目覚めることができたんです。
(※3)ストーリーテリング…伝えたい思いやコンセプトを、ストーリー仕立てにすることで、聞き手に強く印象付ける手法のこと。
ah0a7v at 08:01│Comments(0)